廃線めぐりY
中 国 ・ 四 国 ( 1 )
Y−1 片上鉄道(1991年廃止,片上−柵原33.8km)
 1987年3月に訪ねた片上鉄道であるが,貨物輸送と元来僅少だった旅客数の減少により1991年6月一杯で廃止になった.
 1994年3月の小雨降る肌寒い土曜日,友人と共に7年ぶりに片上を訪ねた.友人の車で神戸から第二神明高速で姫路,そして国道250号で片上へと向かう.山と海に挟まれた狭い街に着いた頃,雨は大降りになっていた.
 国道からそれて商店街を行くと,今はバスターミナルとなっている片上駅が昔のままの姿で雨の中佇んでいた.駅舎はバスの事務所や待合い室として利用され,広い構内も一部線路が取り除かれた他は車庫や貨車から鉱石を卸す施設などもそのまま残っている.
 駅前の道路に面したホームから構内に降り,暗い車庫の中を覗いてみた.中はすでにガランドウであった.しかし,構内海側にはまだ線路が残っており,気動車のものと思われる車輪が転がっている.車庫裏の「うんてんく」という駅名標も健在であった.
 車両は…と見れば,貨物ヤードだったあたりにDD13-552とキハ802,それにシートを被った車種不明(気動車?)の車両と数両の貨車が留置してあった.機関車やキハの窓には「この車両はどこそこの団体が譲り受け,保存の準備をしています.大切にしてください」というようなことが書かれた貼り紙がしてあった.しかしキハの前面窓が破れているなど状態はあまりよいとは言えない.
 片上をあとにし,今度は旧線路に沿って北上する.山陽本線と接続していた和気までは3駅区間程だが,道路も線路もかなり険しいところを通っている.
 山が少し開けてくると,山陽本線をオーバークロスする鉄橋が見えてくる.和気駅には寄らなかったが,当線のホームはまだ残っているとのことである.
 和気を過ぎると,線路は吉井川に沿ってさら山に入る.山並は険しくなり,カーブと勾配が一段ときつくなる.川を挟んで両側に道路と線路が並んで通る様はドイツのライン川の如き景観である.線路が両側にないのは残念だが.
 土砂降りの雨が降る中,山道を車を飛ばすこと約1時間,終点柵原に着いた.構内は殆ど廃止当時のままといった感じで,貨物ヤードの跡は空き地になっていたが駅舎やホーム付近はレールも残り,今にも列車が走ってきそうだった.
 ホームの向かいにあるある鉱石を貨車に積み込むための巨大な建物は,鉄道廃止以前にトラック用に改造されていたとみられる.
 前にまわって赤いとんがり屋根の駅舎に入ってみた.表にバス停があるが,待合室として使われている様子はなかった.
 再び駅構内に戻り,片上に向かって線路を辿ってみる.構内を出ると道路を渡る鉄橋があり,その奥の留置線に青いシートを被った車両が数両留置されていた.シートは車体を完全に覆っており,車種を確認するのはちょっと難しい.凸型のものは片上にあったのと同じDD13であろうか.箱型のは台車からすると「ブルートレイン」と呼ばれた2000形客車か.屋根妻面が丸いのはキハだろう.
 各駅の駅舎が残っていることを確認しながら来たので,帰路そのいくつかに立ち寄ってみた.柵原の次の吉ヶ原も構内は殆どそのままで,ワム1800という有蓋貨車が8両放置してある.備前福田は駅舎とホームが残っていたものの,道路工事の資材や車両の置き場と化していた.
 筆者が見た限り,殆どの駅で駅舎やホームなどの施設は確実に残っており,車両もほぼすべてが保存を前提に残されている.いずれ整備されて,然るべき場所に保存されることであろう.

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